繁忙期は必ずしも悪いものではない
この1ヶ月色々なことがあり、久しぶりの更新になりました。
色々なことが重なる繁忙期、今回私も見事にやられてしまいました。
繁忙期については、「悪」であり無くすべきという考え方もあります。
(「必要悪」だから仕方ない部分もあるという諦めもあるかもしれません。)
私は、そこまで敵視していないのが本音です。
今日は、そのあたりの考え方について触れようと思います。
(写真は過ぎ去った1ヶ月の間にあった桜の様子です。)
繁忙期が敬遠される理由
繁忙期が敬遠される理由は色々あると思います。
特に大きいものとして、健康面と効率面の2点があるのではないでしょうか。
健康面から考えると、繁忙期は業務量が多くなることから生活のリズムが崩れがちです。
食生活の乱れや睡眠不足などによる体調不良も不安です。
また、その業務量に対するプレッシャーなどから精神面での問題への危機感もあります。
また、効率面では、繁忙期は自分のキャパシティを超えた業務量の処理が必要となっており、
その際の処理に関するチェック等がおざなりになってしまう危険性があります。
その時々で行き当たりばったりになってしまい、非効率な可能性もあるでしょう。
自分も繁忙期に、一定期間の記憶がスッポリ抜け落ちていたことがあります。
振り返りをしようとしてみても、手帳やノートには色々記入してあるのですが、記憶がないのです。
とにかく、その日その日を闘って過ごしていたのかもしれません。
健康面でも問題でしょうし、効率面でも課題があると言えるでしょう。
それでも繁忙期を否定しない
このように、繁忙期には問題となる点があることは間違いありません。
ですが、だからといって繁忙期自体を消滅させるべきとまでは自分は思っていません。
繁忙期という表現が正しいのかはともかく、仕事上において山場があること自体は悪いことではないと考えています。
勉強でもスポーツでも、山場というのは必ずあるものです。
勉強であれば、受験という本番に向けて努力をすることになります。
スポーツでも大会に向けて練習をしているとおもいます。
そう考えると、仕事でも山場があることはおかしなことではないでしょう。
そういった山場において、多少負荷がかかることはやむを得ないと思います。
たしかに、普段通りの平常運転でそのような山場も無理なくクリアできるのが理想なのかもしれません。
ですが、現実的にまず大事なのは山場の有無ではなく、山場でも許容範囲内で対応できるかどうかだと思うのです。
繁忙期という言葉には、許容範囲外でもやむを得ないという雰囲気があるのかもしれません。
私もその点については、明確に否定します。
私が考えているのは、許容範囲内で、多少エネルギーを費やすことは問題ないのではということです。
大事なのは状況を改善させるための努力をすること
結局、許容範囲内にするためには、何かを改善させていく必要があります。
仮に今回対応できなかったことについて、しっかりと振り返りを行い、対策を講じることが重要です。
対策の中で、例えば時期を調整することでの解決もあるでしょうし、業務内容の見直しもあるでしょう。
そのようなトライ・アンド・エラーの積み重ねの結果、繁忙期が消滅できればそれに越したことはありません。
ですが、業務内容や立場によって繁忙期が不可避なこともあるでしょう。
その場合でも、改善作業によって許容範囲内になるよう努力を続けることが大事だと思います。