忙殺
ついこの前新年度が始まったと思っていた。
色々なことがあり、一つ一つに対応することに気を捉えて日々を過ごしていた。
そうすると、気がつけば今年も折り返しの時期になっていた。
この数ヶ月にあったこと
この数ヶ月の間、当然ボーッと過ごしていたわけではない。
だが、日々のことに目一杯になっていて、しっかりとした振り返りはできていなかった。
改めて、この数ヶ月にあったことを簡単に振り返って見ようと思う。
・人事異動
・コロナ罹患
このあたりはつい最近の出来事だが、それより前のことがなかなか思い出せない…
確かに色々なことに対応していたはずなのに。
忙殺とは
忙しくて心が殺されている状態をいうのだろう。
その場は状況に対応するため、自分の全力で取り組んでいるはずだ。
だが、そのことが記憶に蓄積されていない。
つまり、経験を活かす環境ができていないということになる。
それは、人として成長が難しい状況ともいえるので心が殺されているという表現は大げさではない。
決して、そうなりたくて忙しさに追われているのではない。
それはみんな一緒だろう。
どうすれば、少しでも改善することができるのだろうか。
すでに近い将来も厳しい状況が予想されているので、何とかしたいと思う。
心に余裕を持つことの大切さは
自分でも十分理解しているつもりではある。
だが、それを実践するということは別の問題があると思う。
余裕を持つために意識すべきことも知識としては持っている。
計画の重要性、タスクに優先順位をつける、業務量を適切に見立てる…
知識があっても、その知識を実際に活用できるかということである。
余裕があるときは、そういった取り組みもできるのだろう。
だが、徐々に余裕がなくなると知識の活用がおろそかになる。
余裕がなくなることと知識の活用ができなくなるはどちらが先なのか。
自分は明確な答えを持っていないが、相関関係があるということは
感覚で理解している。
私が思うのは、失敗を繰り返しながら次はそうならないように意識することを
諦めずに続けることが大事だということだ。
すでにこのスキルを身に着けている人も大勢いるのかもしれない。
だが、最初からデキる人はほんの一握りのはずである。
みんな、試行錯誤を繰り返したはずである。
私も諦めずにあがいていこうと思う。