日々の生活に忙殺されずに刺激を受けることが必要

タイミングなどによっては、日々の生活に忙殺されることはあると思います。
充実しているとも言えなくはありませんが、目先だけにとらわれることは危険です。
新たな刺激を得るように意識することが必要です。

日々の生活でいっぱいになることはある

仕事でもプライベートでも、何かの要因で忙しくなることはあるでしょう。
場合によっては、忙殺されてしまうことも仕方ないかもしれません。

その際の気持ちの持ち方について、おすすめの考え方は以前お話しました。
「充実している」と前向きに捉えることが重要だと思います。

「疲れた」ではなく「充実した」と捉えよう

ですが、それだけでは不十分かもしれません。
忙しさを理由(言い訳)にしてしまう危険性があります。

充実感や達成感があるのが落とし穴かもしれない

私自身、忙しいときのことを振り返ってみました。
仕事では、どうしても繁忙期というものがありました。

営業時代はそれでも、ある程度負荷分散するように自分なりの調整をしていました。
しかし、経理関係の担当に異動した際には、勝手もわからないことも含め
どっぷり繁忙期というものに浸かってしまいました。

その日にすべきことを完了させることで精一杯な日々が、3ヶ月ほど続いたのです。
後ほど手帳などで振り返ってみても、ほとんど記憶が残っていない状況でした。

毎日終電やタクシー帰り、場合によっては職場の近くでホテル宿泊もしました。
就寝前には「今日も何とかやり遂げた。」と、安堵しながら休んでいました。

忙しい時、このような達成感や充実感のようなものを支えにしている人は多いかもしれません。
ですが、そこに落とし穴があるのかもしれないと今では考えています。

処理したということが、本当の意味で達成感や充実感を得るものなのでしょうか。
単なる作業マシーンになってしなっていないでしょうか。
その結果、かつての私自身のように他に刺激を受けることもなくなっているかもしれません。

時間を消費しただけに終わってしまっては、とてももったいないと思います。

自分から刺激を得るように意識することが必要

忙しさに流されず、自分から忙殺される日々の中で刺激を得るようにすることが重要です。
刺激というのは、例えば「気づき」だったり、「疑問点」だったりします。
自分の頭を使うことを意識すると良いと思います。

そして、忙しいときほど振り返りをこまめに行うことがおすすめです。
日々の終わりの際に、少しでもかまわないので次のことを整理しましょう。
・今日何をしたのか
・その目的と効果は何か
・工夫できそうなことや改めたほうがよいことはないか

忙しい時こそ、ちょっと時間を確保して整理をすることで
成長を促進することができるのではないかと思います。