伝統行事の節分をアレンジしつつ楽しむ

今日は節分でした。
我が家もイベントとして家族で楽しみました。
イベント化によって、本来の趣旨とは異なってきている部分もあると思います。
ですが、肩肘はらずにアレンジしつつ楽しむことはありだと思います。

節分の本来の趣旨

子供の頃から節分の豆撒きは行っていました。
一方で恵方巻については、いつの間にか生活に取り入れるようになりました。
いずれにせよ、本来の趣旨を深く考えないままこれまで過ごしてきました。
せっかくなので、調べてみることにします。

もともと、節分という言葉には、季節を分けるという意味があります。
本来は季節の始まり日である二十四節気の「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のすべてを指すものです。
その中でも、まだ寒く体調を崩しやすい立春のタイミングに行われるようになったようです。

節分とは、一般的に邪気を払い、無病息災を願う行事といわれています。
ですが、なぜ豆をまくのでしょうか。
昔から、日本では豆(大豆)を神聖なものとして扱う慣習がありました。
その神聖な豆(大豆)使って災いを祓う儀式がもとになっています。

一方、恵方巻ですが、発祥は江戸時代から明治時代にかけての大阪のようです。
節分に恵方を向き、願い事をしながら太巻きを黙々と食べるというものです。
こちらは全国的な知名度を得るようになったのは2000年以降のことです。
コンビニが仕掛け人として、各地に広がったようです。

我が家の節分

自分は生まれも育ちも北海道です。
子供の頃から豆まきの豆は落花生でした。
落花生が標準だと大学生になるまで信じていました。

我が家の豆まきですが、自分では北海道では一般的だと思っています。
自分が子供の頃に行っていたことを、そのままやっている感じです。

家族の誰か(基本自分ですが)が鬼役になり、鬼のお面をつけて家中を回ります。
豆(落花生)を鬼に投げつつ、「鬼は外、福は内」と叫びます。
鬼は最後には玄関から外に逃げ出して第一部終了です。

その後、すぐに何事もなかったように鬼役もお面をはずして家に入ります。
(だって北海道の冬は寒いですから。)
家族みんなで家に散らばった豆(落花生)を回収します。
その後、歳の数だけ豆(落花生)を食べて第二部終了です。

ちなみに、恵方巻については、自分たちでつくることはしていません。
とりあえず食べたい太巻き(又は海苔巻き)を買ってきます。
恵方は一応確認して、椅子の向きはその場で何となく合わせます。

完食するまで黙って食べ続けることまではしていません。
とりあえず一口食べたら、後は普通の食事と一緒です。
大体はその後に行う豆まきの話をしています。

生活に彩りをもたらすイベントで良い

ここ数年は、豆まきも落花生に加えて小袋に入った豆も加えています。
もちろん小袋ごと鬼に投げつけます。
また、歳の数だけ落花生を食べるのは控えています。
(摂取カロリー的にも厳しいものがあるので)

今年は鬼のお面も「鬼滅の刃」の公式サイトから印刷した鬼でした。
節分限定でダウンロードイベントがあったので、使わせてもらいました。
(普通のお面をスーパーでもらっていなかったので、良かったです。)

恵方巻も今年は海鮮巻に加え、普通に納豆巻を食べました。
一瞬、恵方の方角を向いて一口食べる以外は完全に普通の食事です。

振り返ってみると、本来の趣旨とかなりずれているような感じがします。
ですが、家族が楽しめるイベントで良いのだと思います。
来年は、金棒を工作で作って鬼度合いを増してみようかなと既に考えています。